「危険察知能力」でゴールを防ぐ。言葉に隠された本質
鈴木啓太氏引退試合に思う
■岩政大樹・現役目線第26回
失点はしない、という前提
先日、鈴木啓太さんの引退試合に参加させていただきました。
鈴木啓太さんといえば、「危険察知能力」。危ない場面にいつも顔を出し、ピンチを未然に防いでいく姿は敵として厄介極まりない選手でした。
今回は、この「危険察知能力」という言葉について少し立ち止まって考えてみたいと思います。
危険察知能力。
サッカーの世界で度々、守備の選手がピンチを防いだ場面で使われる言葉ですが、僕の感覚では少し表現がしっくりきません。聞き慣れてしまっている言葉ですが、「危ない」と思った時にピンチを防ぐのは、危険を察知する能力ではありません。特にプロの世界ではそうだと思います。
どういうことか説明しましょう。
サッカーとはご存じのとおり、得点がなかなか入らないスポーツです。これを逆から考えれば、サッカーはなかなか失点をしないスポーツと言えます。
つまり、守備をする者からすると、ほとんどの場面で「やられてしまう」ということはありません。
だから、正しいポジションを取っていなくても、あるいは、必死に守らなくても、それが毎回失点に直結するわけではありません。
そのことによって起こるのが、「正しいポジションを取らなくても今回は大丈夫だろう」とか、「必死に守らなくても大丈夫だろう」という心理です。サッカーにおいては、どちらかと言えば、その心理の方が当たり前だったりします。つまり人はどうしても可能性を頭に入れてプレーするので、失点の確率が低いことから、サボるとも少し違うのですが「~だろう」というプレーになりがちなのです。
僕は、サッカーの守備は車の運転によく似ていると思います。
運転免許の講習の時に、「『~だろう』運転はだめ、『~かもしれない』運転を心がけよう」と教わります。運転の時、携帯電話を見てしまうことや注意を怠ることは危ないことだと誰もが知っているのに、事故はそれほど頻繁に起こるわけではないことから、ふとしたときに「大丈夫だろう」と考えてしまいます。そして、そういう時に限って、危ない場面に出くわします。
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